「今日という一日は、当たり前にあるものだろうか。― 中3生と考えた『ウクライナの日常』」
塾長の教育コラム先日の中3の授業のはじめに、
少しだけ時間をとって、ウクライナを訪れた方が現地で見聞きした様子を語る音声を、生徒たちに聞いてもらいました。
きっかけは、その前日の夜でした。
私自身が偶然ラジオを聞いていると、
ウクライナの現在の日常についての話が流れてきました。
空襲警報が鳴る中でも、人々は仕事をし、家族と過ごし、結婚式を挙げる。
警報が鳴ることさえも、人々の日常の一部になっているという話でした。
聞きながら、私はいろいろなことを考えました。
「これは、ぜひ生徒たちにも聞いてもらいたい」
そう思い、翌日の中3の授業の最初に時間をつくりました。
■ あえて、感想は求めませんでした
最初は少し人ごとのように聞いていた生徒たちも、話が進むにつれて、だんだんと音声に心を向けているように感じました。
今回は、聞き終わったあとに、
「どう思った?」「感想を書いてみよう」
とは、あえて言いませんでした。
何を感じたのか。何を考えたのか。
すぐに言葉にしなくても、それぞれの中に何かが残ってくれれば、それでいいと思ったからです。
■ 私自身が感じたこと
その代わり、最後に私自身が感じたことを生徒たちに話しました。
私たちは、今日も普通に外を歩くことができます。
家族や友達と過ごすことができます。
学校へ行くことができます。
そして、こうして勉強することもできます。
普段は当たり前だと思っていることも、決して当たり前ではないのかもしれません。
だから私自身も、
「もっと今を大切にしよう」
「今できることを精一杯やろう」
「先生として、まだまだ生徒たちのためにできることがある」
そんなことを改めて考えました。
■ 一つの「答え」を教えるためではありません
今回の時間は、戦争について一つの答えを教えるためのものではありません。
世界には、自分たちとはまったく異なる「日常」を生きている人たちがいる。
そのことを知ったとき、
自分は何を感じるのか。
自分が当たり前だと思っているものは、本当に当たり前なのか。
そして、今日という一日を自分はどう生きるのか。
その答えは、一人ひとり違っていいと思っています。
■ 「答え」だけではなく、考えるきっかけを
塾という場所は、問題の解き方や知識だけを学ぶ場所ではないと、私は考えています。
知らなかったことを知る。
いったん立ち止まって考える。
自分とは違う立場や日常を想像してみる。
そして、自分自身の生き方に戻して考えてみる。
こうした経験もまた、「学ぶ」ということではないでしょうか。
みらい塾では、学力を伸ばすことはもちろん大切にしています。
同時に、さまざまな出来事に触れながら、
自分で感じる。自分で考える。自分で決める。そして、自分の行動につなげていく。
そんな力も、3年間の学びの中で少しずつ育てていきたいと思っています。
答えを教えるだけではなく、「君はどう考える?」と問いを渡せる場所でありたい。
今回の音声を聞く時間も、そんな小さな学びの一つになればと思っています。