木を剪定しながら、生徒の3年間を考えた。
塾長の教育コラム今日は朝から、教室周りの草払いと木の剪定をしました。
休憩を入れながらの作業でしたが、普段かかないような汗をたっぷりかきました。
その中で、伸び放題になっていた一本の木を剪定していたとき、ふと思い出したことがあります。
ミケランジェロの話です。
以前、書籍で読んだことがありました。
ミケランジェロは石を彫るとき、何もないところから像をつくり出すのではなく、
すでに石の中にある姿を見て、それを外に現していく――そんな趣旨のことを語ったと伝えられています。
枝を一本ずつ切りながら、
「これは、教育にも少し似ているのではないか」
と思いました。
子どもの中には、すでにたくさんのものがある
私たち大人は、ともすると、
「子どもに何を教えるか」「何を身につけさせるか」
ということを考えます。
もちろん、それも大切です。
しかし私は、子どもたちはすでに、自分の中にたくさんの材料を持っているのではないかと思っています。
考える力もある。選ぶ力もある。人を思いやる気持ちもある。
頑張る力もある。失敗から立ち直る力もある。
まだ、それらをどう使えばいいのか分からないだけなのかもしれません。
だから教育とは、外から何かを詰め込むだけではなく、
その子の中にあるものを、自分自身で見つけ、使えるようにしていくことではないでしょうか。
「何になりたい?」の前に、「どうありたい?」
中学生に、
「将来、何になりたい?」
と聞いても、まだ分からない子はたくさんいます。
それでいいと私は思っています。
具体的な職業は、まだ決まっていなくてもいい。
でも、
「自分は、どういう人でありたいのか」
これは、中学生のうちから少しずつ考えることができます。
たとえば、
分からないことに出会ったとき、すぐに諦めるのか。それとも、もう少し考えてみるのか。
失敗したとき、人のせいにするのか。それとも、自分にできることを考えるのか。
嫌なことが起きたとき、その感情にずっと振り回されるのか。それとも、自分なりの方法で立て直していくのか。
周りの人が違うことを言っているとき、ただ流されるのか。それとも、自分で考えて選ぶのか。
こうした一つひとつの選択が、その人の「生き方」になっていくのだと思います。
勉強の中にも「生き方の練習」がある
だから私は、数学や英語を教えることと、人として成長することは、まったく別のものではないと考えています。
数学の問題が分からなくても、すぐに答えを見ずに考えてみる。
テストで間違えたら、「ダメだった」で終わらず、「なぜ間違えたのだろう」と振り返る。
宿題を言われたからするのではなく、自分のために必要なことを考えて取り組む。
答案を丁寧に書く。
感情が乱れたとき、自分を落ち着かせ、もう一度やるべきことに戻る。
こうした小さな経験の一つひとつが、
「自分は、こういうときに、こう考えて、こう行動する人間でありたい」
という、その子自身の信念や価値観をつくっていくのではないでしょうか。
3年間で育てたいもの
みらい塾で過ごす中学校の3年間。
もちろん、成績を上げることも、高校入試に合格することも大切です。
でも、それだけではありません。
3年間の勉強を通して、
「私は、こう考える」「私は、こういうことを大切にしたい」
「失敗したら、こうやって立て直す」「迷ったときには、こうやって自分で考える」
そんな自分なりの判断基準を少しずつ持ってほしいと思っています。
先生に言われたから行動するのではなく、
「自分は、こういう人でありたいから、こうする。」
そう言える人になってほしい。
今日、木を剪定しながら、そんなことを考えました。
伸びた枝を整えていくと、その木がもともと持っていた形が少しずつ見えてきます。
教育も、もしかすると同じなのかもしれません。
大人が子どもを、自分たちの思い通りの形につくるのではない。
問いを与え、経験する機会をつくり、振り返る時間をつくる。
そして、その子自身が、
「自分は、どんな人でありたいのか」
を少しずつ見つけていく。
そのためのお手伝いをすること。
それが、私がみらい塾の3年間でやりたい教育なのだと思います。
教え込まない。考え続けられる力を育てる。
その言葉の意味を、今日、一本の木から改めて教えてもらったような気がしました。